大河の一滴

非常に含蓄の多いコメントをいただいて考えさせられます。皆さんありがとう。

時事問題を非常に単純化してしまうと:例えば強盗事件があったとして盗んだ強盗が元凶だ。強盗さえ現れなかったら事件は起こらなかった、、。かもしれない。

しかし強盗に襲われる無防備で世間知らずの娘を育ててあえて危険地域に放し飼いにして襲われるべく襲われた。としたら、危機感ゼロの娘をうむ土壌を育ててしまった責任は危機感ゼロの親にもある。

人類性善説を説きながら米国の大都市ダウンタウンで家のドアを開けっぱなしにして生活する親がいたらそいつがおかしい。

ガンをもった強盗が店を襲ってきたらこう逃げる。80マイルで流れるフリーウエイでパンクしたら後続を確認してハザード点滅させて右肩へ退避! 税務相が来たら、、。

危機のシュミレーションを常にバックグラウンドで実行させて生きてきたおばちゃんからすると、な~ンの責任も持たず危機感を感じることなく生きてきた人は生ぬるいとしか思えない。

ただ、この一連の醜悪は一般国民の手の届かないところ、批判の声の届かせにくいところで起きている。一般国民が国の役所の代表番号に電話をかけ批判と憤懣を述べたところで、あるいは投書をしたところで無益ではないか、と感じるのはあたりまえのことだ。ただの感情のガス抜きにしかならないかと忸怩の思いにとらわれるかもしれない。

当然だ。
なぜなら、日本の役所の窓口のお役人というのは決定権を何も持たないからだ。自分の憤懣を述べたところで、本日の電話苦情リポートに何行か記入されるだけかもしれない。上司に報告されるかもしれないが、上司も決定権を持たず報告が上へあがるだけ。

日本の政府やましてや宮内庁などという組織に国民の不満と批判をダイレクトにくみ上げるようなシステムはそもそも存在しないし将来も作られることはないだろう。

だから投書しても無駄だし電話してもきっと事態は変わらない無力と感じるのは当然。
おばちゃんのこのブログも楽天では絶対ランキングされなかったし、自前でレンタルサーバーに移ったら数回腹いせされたから。おばちゃんはコントロールされるのが嫌いなので、Adsenseを外しちゃおうと思ってる。Googleも規制が厳しくなってきたと思う。

しかし、匿名のままでいいから罵詈雑言でない筋の通った意見と批判を述べる。
この頃のYahooのコメントは以前と違って目を見張るほどまっとうな意見が多い。理路整然としていて意見と批判を述べている。なまじYahooが規制を強化した結果なのか、かえって国民の正しい批判と意見を述べる場になってるね。


Amazonの例の本の書評には感情をぶつけただけの罵詈雑言などなかった。ほとんどの意見は理のある批判だった。

義政者として一番コントロールしにくいのは、無名無記名の一般国民の意見だと思う。
メディアはどなたかが言ったように、世論をコントロールさせるために持ち込みの御用記事があり、御用学者に記事を書かせるなどして世論操作の道具にされるからからあてにならないが、怒涛のように書き込まれる一般国民の無名のコメントは正論であれば削除もできない。
秀逸なコメントを後世のためにコピー保存していくべきかもしれない。

おばちゃんも一時期、何を書いても無駄ではないかと憂鬱になって留学の勧めなんか書いてしまったが病気のせいで、今、地道にできることはやっていこうと考え直した。

デジタルとネットの世界は昔よりずっと意見の整合性がとりやすい世になっていると思う。なんでも保存できるし過去の記事も掘れば出てくるしね。嘘をついてもひっくり返えされるし、今この時点の国民の意見を保存できる。

自分のコメントは一滴かもしれないけど集まれば雨になって奔流になるから。線状降水帯みたいになるかもしれない。Yahooコメントを保存して専用まとめを作るアイデアは面白いかもしんない。コメントはコピーライトがあったんだっけ?

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