そうだ、清水港へ行こう

明け方は寝室の気温が下がって鼻が冷たく感じると紫音が布団の中に潜り込んでくる。外気温はたぶん5度前後だろう。山かげの道路が凍ってしまうのはもうすぐだ。
冬タイアに変える前に年末年始のために買い出しに行かなくちゃ。そうだ清水港に行こう!

山から下りると高速への道は超便利にできている。なんなら東名も新東名もどちらでも好きに乗れる便利の良さ。

お魚センターは焼津と清水港がある。東名で一直線。
焼津さかなセンターは清水港より規模が3倍大きい。観光バスがバンバン乗り付けてコロナ前は人混みがすごかった。昭和の時代の年末の築地場外に行ったことがあるがあんな感じ。

焼津お魚センターは東名インターのすぐそばなのだが、軽自動車では伊豆から遠い。走れども遠くて運転に飽きてしまう。
清水港は規模が小さいが距離は半分でさらに近場でとれた鮮魚も売っている。
おじちゃんは鮮魚!、鮮魚!というのでこの頃は清水港に買い出しが多い。

在外の人には目に毒かもしれないが日本は海産物の宝庫だ。
清水港にはいい型のスズキがあがっていて真鱈と釣りの鯵、天然鯛、金目鯛そしてあらゆるマグロ、冷凍と近海の生。メバチやキハダの様々な大きさのブロック。よりどりみどり。

鰹節と日高昆布。もし焼津まで足をのばすなら鰹節店の「朝けずり」の鰹節が買える。清水港の鰹節は「朝けずり」ではなく地元製造の袋入りだが開封すると、市販の鰹節に見向きもしない猫が気がふれたようにキッチンに走ってくる。出汁をとったあとのダシガラ(塩分も抜けている)のをちょっとだけやる。

正月用に鮭、冷凍いくら、冷凍ホタテ、マグロを買った。お惣菜用に鯛の切り身とスズキを一本。アジの開きもも忘れてはいけない。

大アジは身が厚く脂がのっていてホッケサイズの大振りなので夕食じゃないと食べきれない。アジを開いて今干し終わりましたというような新鮮さがあって、スーパーのアジのように冷凍焼けがない。焼くとふっくらむっちりジブジブと油がはぜている身をむしってとことんアジが堪能できる。ああ、ありがたい幸せ。

小さくて冷凍焼けして真っ黒で焼くと冷凍臭がまず襲ってきて、口に入れると一瞬おえっと臭さに気持ちが悪くなり、それでも一応アジだからアジの味はかすかにする。在外では日本から輸入するしかないのでそれでもアジの干物を食べられるだけましだった。

米国のFDAが、輸入する食品の”現地・製造国での衛生管理”にいちゃもんを付けたことがあった。
アメリカに住む人間が、不衛生な環境で生産される食品を口にしてはいけない。日本産のアジの開きの製造過程が、米国の食品衛生法に合うようになるまで輸入禁止。アジの開きが輸入されなくなってしばらく口にできないことがあった。一体どのアメリカ人がアジの開きを食べる言うねん。日本たたきの一部ではないかと、おばちゃんは思ってた。

外地で食べられる魚はせいぜいサケ、サバ、アジの開き、マグロ、加工品がメインだったからひどい冷凍臭の干物でも我慢するしかなかったね。まぁ、20年我慢をするとどうでもよくなってしまうのだが。

買い物を済ませると大体お昼である。
お魚センターはお食事館もあって20軒?ほどレストランが入っている。メニューはもちろん魚である。

それぞれの店舗の店先にはメニューのサンプルが飾ってある。どれも刺身がてんこ盛り。
どんぶりの上にこれでもか、と盛られたマグロ角切りがどんぶりのフチからこぼれ、雪崩を打って受け皿に落ちる。とどめはてっぺんからかけられた溶岩のようなイクラである。

ピンクのサケ、白のイカ、ブルーグレーの生!の白魚、薄ピンクのサクラエビ、真っ赤なマグロ、ピンクのトロ。大き目の平たいどんぶりにこれでもかとカラフルな刺身が乗っている海鮮丼。

隣の店にはその日の地魚の盛り合わせ定食、マグロ丼(赤身にトロにヅケ)さらにその隣の店は白い脂が網のように走る生マグロの大トロ丼。魚食いの原始日本人の魂を揺さぶる光景が左にも右にも店先にこれでもかと続いてゆくのである。おばちゃん心拍があがってクラクラしてくるほどである。

主治医のおっさんは退院後の生活について、”胆のうを切除しても一応影響がないことになっております”と何にも言わないくせに「なんでも食べてください。あっ、生ものだけはやめてね」とそこだけはきっぱりと言った。

マグロを一回食べたくらいで死にはせんだろうと思うのだが、渡辺徹が敗血症で亡くなったばかりではあるし、おさかな食堂にギリギリと心残しながら、これも生もの満載の市場館に戻ると、お持ち帰り弁当コーナーの海鮮丼の隣の「カッパ巻き」に手を伸ばしかけて、いやいやこれはあまりにも阿呆すぎやしないか?

別の店舗でアジの開きのほぐし身やサザエの珍味がのった「変わりお稲荷さん」を、かわいそうなおじちゃんもお付き合いでシラス佃煮と焼きアジのおにぎりを買って、紫音の待つ伊豆の山にトンボ帰りするのだった。

  • footer