カリフォルニアを走る

おばちゃんは80年代にバイク乗りだった。黒のヤマハのRZに黒つなぎとブーツにフルフェイス。ゴキブリと言われて横浜の街を走っていた。日本のバイク乗りの夢は、果てしないカリフォルニアのフリーウエイをローライダーで走る映画イージーライダー。

あるいはハーレーが集合する聖地サンフェルナンドバーレーのベーカーズ・フィールド。テレビのシリーズCalifornia Highway Patrols「CHIPS」ではJoeか Ponchかどっちがかっこいいか話が尽きない時代であった。

おばちゃんは卒業祝いで買った黒の革ジャンにアメ横で買ったハイウエーパトロールのワッペンを縫い付け、いつかカリフォルニアで走れたら素敵!
などと夢を見ていたのであったが、、、、。

90年代に入ってすぐ渡米すると、ローライダーの夢はす~っっぱりと消えたのであった。あの人たちはちょっと違うのである。

体腔の薄いぺらぺらな胸をツン!としたら倒れそうなきゃしゃな日本人ではなくて、こめかみから顎までコワいひげを生やしてバンダナをし、胴がドラム缶くらい太く、くっそ重たいハーレーをたらたら転がしている人たちは、
あれは、ライダーというより出勤するためにこざっぱりした服を着てフリーウエーに乗り渋滞を辛抱強く走る人生ではなくモーターサイクルという人生/ライフスタイルを選んだ人なのである。ハンパじゃない人なんである。

ホコリ色の服を着て排気ガスを浴びながら、車の間をハーレーですり抜けていくライダーはモーターサイクルという人生を選択したんである。

おばちゃんたちはただでさえも、体格がきゃしゃで体力がなく、英語と交渉が人並み以下で肌に色がついてるアジアからの移民である。100%の自分たちではアメリカ社会に勝てない。120%の努力をしてやっとアメリカ社会で生きていけるかどうかである。タイヤ2輪のために追加の社会のハンディキャップを背負いきれない。

渡米してみればChipsのパンチョは太って中年のメキシカン丸出しのおっさんになっていてテレビのCMに出ていた。テレビで物の宣伝をしてんのよ!
ジョイスと待ち合わせをしたとき、寒かったので皮ジャンをひっかけてショッピングモールに行けば、左腕にChipsのワッペンが張り付けてあったのをすっかり忘れていた。

警官の詐称は確か罪になるのではなかったか?ワッペンを剝がせればよかったのだが、縫い付けたあったので建物に寄りかかって左腕のワッペンを隠した。こんなアジア系の女の子がどうして、Chipsのワッペンをしてるのか周りからおかしく思われそうで、気が気ではなかった。

おばちゃんの夢はガラガラと崩れ、バイクを買うどころかカローラやビッツの目立たない日本車に乗り中流の下であってもアメリカ社会で生き残っていくのが目標になった。

ハーレーに触れることもなく何十年、日本に帰国してみると日本のバイク文化は衰退し昔とは見る影もなかった。日本の道路はあぜ道のように狭く、広フリーウエイまっすぐをすっ飛ばすのとはまた違った走り方があるのだった。

ちまちまとくねくねと細い一車線の田舎道を走っていると、なんとなくまたバイクで走るのもいいなと思う。125㏄あたりの車高の高い軽いトレールなどで山の空気を切りながら走ってみたい。ただ、おばちゃんの自動二輪の免許はとっくに失効してもう一度取り直さねばならないのがネックである。

フリーウエイを走る

フリーウエイを走る土曜日の午後、南に下るフリーウエー5番の右から2番目を走っていたら、。一番右端の路肩にダークグリーンのセダンが止まっていて、30くらいの白人の男が後ろのトランクを開けていた。

アスファルトに金具が転がっているのを見ると、パンクしたのだろう。
お兄ちゃんはトランクから予備タイヤを両手で取り出すと、地面に縦にトンと置いた。お兄ちゃんが両手を離して後ろ向きにトランクの中を見た瞬間、縦のタイヤはそのまま転がり始めた。下り車線の車に向かって!

兄ちゃんの口が「O」の形になり、おじちゃんとおばちゃんも同時に「オー」と叫んだ。タイヤと65マイルで進みゆく我がホンダと距離は50ヤード
車は7~8台。
来るな!来るな!と叫ぶおばちゃんたちの願いとは正反対に、先行する車はひらりとよけ、タイヤは倒れもせず2車線を斜めにするすると横切って、我がホンダの右バンパーにぶつかって跳ねた。

白人のお兄ちゃんはその間中、「O」の形の口に手を当てていた。おばちゃんたちは当たった瞬間「Shit!」と叫び、跳ねたタイヤの行方には目をそらした。

うちのせいじゃないから。
仕事場についてバンパーを確認したらかすり傷だったので修理の必要がなくてよかった。

ある日、うちの女の子が泣きながら出勤してくるので、どうしたのか聞くと、こわかったんです!~。とすすり上げる。中古で買ったばかりのKiaのバンパーがフリーウエイでいきなりすっ飛んだのだという。

ボロKiaはスピードが出ないので、一番右側を走っていたのが幸いし、バンパーが路肩にすっ飛んでいったのだそうだ。バンパーがなくなってしまったKiaはなんだかジャンクのようだった。他のダメージを確認してみると前輪タイヤの2本がほとんど擦り切れていて、いつバーストしてもおかしくない。

買った中古屋に電話を電話をして、ボロKiaは擦り切れタイヤのまま引き取らせた。

カリフォルニアには雨がほとんど降らないので、アメリカ人は雨が降ると路面が滑るということもあまり自覚がない。その日は昼から霧のような雨が降り、午後に上りの5番に乗ったら4~5台前の右車線のシボレーがいきなり一回転して後ろ向きになった運転席のアメリカ人が呆然としているのが見えた。こっちだって、車線を変えて避けるので精いっぱいである。

降るのは雨だけではない。11月ごろには落葉が強い風にあおられてフロントガラスに張り付いた。小さい落ち葉はまだましだが、たまに白いビニール袋が飛んでフロントに張り付くことがある。ロングビーチの手前で張り付かれ、陸橋の下をくぐるとき風の向きが変わってはがれた。

何が怖いかって車は65マイルから75マイルで走っているのである。405でも5番でも4レーンから5レーンの車線を他の車も同じような速度で走っているのである。そこでいきなりビニールでフロントが見えなくなる。恐怖そのものである。

かといえば疲れて帰宅しようとする夜の10時半にいきなり前方車両の全レーンのスピードが落ち、ついには止まってしまった。夜だから前方が何やらほんのり赤い点滅の光が見える。ポリスがカーチェースのために全車両を止めたのだ。5番と405で一度づつ、ラスベガスの帰りの15番で一度。

15番は一本道でう回路がないから、1時間以上も炎天下の砂漠で待たされるのはひどい苦痛で、スタックした車列の中から中央分離帯を無理やり超えてラスベガスにUターンするセダンもちらほらあった。テレビの実況でカーチェースを見るのは他人事だが、自分が止められると果てしなく長い。

ニューポートビーチから内陸に向かう時に隣の車線にとんでもない車が走っていた。セダンの屋根に黒人のおっさんが胡坐をかき、両腕を後ろで屋根に付け55番方面に走っていった。

405で落ちたばっかりのセスナの隣を抜けたこともあった。落ちたてで煙もなければ消防車もまだ来ていなかった。

フリーウエイを走るときは、もし、こんな事態になったらこう車線を変えてこう避けると常にシュミレーションをしていた気がする。

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