世界は巨大な ケンミン・ショウー

アメリカでも日本のTV番組は見られる。
カリフォルニアではKTVという現地放送がNHKや日本の人気番組を放送していた。きわめて限られた番組数だったが。

その番組の一つが「ケンミンショー」で愛知県の名古屋人は鶏の手羽を食べるとき、ある裏技を使って一挙動に食べられるとか、別の県民の赤飯は甘納豆で炊いて甘いとか。サラダを寒天で固めて食べる地方とか。
地方での伝統習慣が実は日本・全国区でみると異習慣・本流ではないと諭されてショックを受ける地元ケンミン。軽い揶揄も入っている気がする、そんな習慣・風習は全国区ではないんですよ~と。
驚きうろたえる地元民を全国区の日本人が面白がって観る。

なかなか新機軸だった。おじちゃんもおばちゃんも毎週欠かさず見ていた。ただ受け取り方は若干違っていたかもしれない。十年も帰国したことのない日本は遠い国である。その遠い、多分この先一生訪れることがないかもしれない故国の一部で珍しい風習や言い方や言葉があると言っても同じ日本語を話す日本人ではないか。極地でも全国区でもエキゾチックな風習。

日本人にとってお正月は大事な神聖な祝日であったのだが、長年の外国暮らしでは正月はNew Years Day=年の最初の日。最大の祝日はクリスマスとサンクスギビングに変わってしまっていた。お正月の“神聖さ”は時間とともに蒸発していったのだ。日本の歴史と習慣に敬意を払うが、かつての正月の「神聖さ」の観念は今でも戻ってこない。

餅が四角いか丸いかで侃々諤々。
餅は丸いもんどすえぇ。雑煮は吸い物地だろう。こうあらねば正しい正月じゃない。
餅があるだけでましじゃない。餅がそもそもない世界もあるんだから。自分中心の世界観は世界の真実じゃない。

UTubeでは長年海外で暮らした日本人が帰国してぶち当たる文化のギャップとか人付き合いのトラブルとかを取り上げたチャンネルもある。帰国者の逆カルチャーショックね。

海外生活で変わってしまった常識が日本の移住先で軋轢を起こすわけだ。
思っていることを発言・主張して現地人を不快困惑させるとか。イエスかノーか詰めてくるとか、どこでも飲み物を飲むとか。頭は下げないとか。何が日本の常識かもう忘れてしまっているので自分の欧米化した常識で物を言う。

日本の常識が非合理的だと思うから「海外では」と言うと嫌われるらしい。「ではの守(カミ)」と言って。「XXXでは」と言えば、「XXX」に行けば?と内心思われているらしい。

雑煮の餅は四角い。
この辺では赤飯は甘いの!
わが社ではとか。
ではの守」は日本の隅々すべての場面にいるのに自覚がないらしい。ミクロがマクロを笑ってどうする。

固定観念と言うのは物差しが一つしかないことだ
「xxx地方では」というたった一つの物差しは、生息レベルがアップすると「日本では」と言う2つ目の物差しになり、「欧州では」「米国では」と常識と物差しの数が多くなり多様性が増えていく。

おばちゃんはアメリカで小売業をしていたから、お客はアメリカ人をはじめ、台湾生まれの中国人、香港系の中国人、韓国人、大人として移住してきたベトナム人、アメリカで育ったベトナム人、移民の2世、移民の3世、など様々な文化と人種と固有の物差しを背景にしたお客がいた。みんな好みが違う。

それぞれのお客の態度や交渉術の違いは、彼らの文化・社会の常識の違いだった。誰か一人の一つの常識だけが世界の真理でも正義であると断言できるわけではない。

アラブの正義」という言葉があるほど独特の常識と物差しはアラブ人がお隣に住むとよくわかる。
ある日、あまり話をしない隣人が突然自宅に来て、自分のごみが多すぎてゴミ箱に入らないからお前のゴミ箱を貸せ、と頭ごなしに命令したりする。Please という言葉も使わずYou shouldお前が貸すべき!と頭から言ったりする。移住したばかりだったので、アラブの物差しだけがあり、より人に支持されている物差しを学ぶ時間がなかったのだろう。

究極の真理というのはわからないが、支持されるコモン・常識というのはあるかもしれない。
より公平で、弱者の権利も守り、双方に理があり、合理的で広く支持されていたら、常識=物差しとしても定着しているかもしれない。

日本にも外国人が定住するようになった。
スーパー、リサイクルショップ、サイゼリアなどで見かける。多くは南米、アジア系だ。おばちゃんは日本人が非白人系の彼らをどのように思っているかは知っている。何故ならおばちゃんが米国移民だったからだ。

彼らの日本語には訛りがある。
ジョイスが「お前の英語は訛りがある」とアメリカ人から言われたときに言い返した。
「私は英語に訛りがあるかもしれないがそれは自国語をしゃべれる証拠だが、あんたは英語の他に何語がしゃべれるんだ。」
移民には2つの物差しがある。労働をしているからと言って必ずしも能力や知力が落ちるわけではないことを知っておいた方がいい。

物差しは多い方がいい。
いろんな社会の物差しを多く持っていれば、たった一つの常識にしがみついて笑われるということが無くなる。

日本の若者も地方から都会に出てより大きな物差しを学び、海外の違った物差しにも接しながら現在の閉塞している日本社会の常識を広げていってほしいものだ。

最後に「International」という言葉がある。
私は使わない。私が知っているのは米国人と中国人の友達と様々なx系の客の常識の範囲だけであって、世界に共通するInternationalっていったいどういう現象をいうのかいまだにわからないからだ。
日本人に英語を詰め込めば英語をしゃべる日本人ができる。インターナショナルになったわけではない

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老化とファッション2

アメリカに長く住んでいると日本は遠い国だった。
日本でどんなファッションが流行っているのか疎くなる。留学生が飛行機で降り立ったままの服装で日系スーパーに現れると、ああ、今日本ではこんなファッションが流行っているのかと観察したのだった。

平成の終わりに日本に永住帰国したら、日本の女性はみな蒸し暑い真夏に中東のようにワンピースを着、ボトムにはパンツを履いていた。胸もウエストもなく二の腕も洋服に隠れていた。shapeless

おばちゃんの覚えている日本の夏はノースリーブのワンピース、アッパッパのおばさんたち。そんな風俗はもう婆さんにもいなかった。

更年期の時に分かったのだが人間の肩と腕は効率の良いラジエターである。
体に熱がこもるときは、キャミソールだと腕と肩から体の熱が放出できる。それでホットフラッシュが襲ってきた更年期にパジャマも含めすべての半そでを捨ててしまった。一説には、社交界の礼装:ローブデコルテとは、更年期のおばはんがおばはんのために創始したという説があるらしい。説の真偽は定かではないが、夏はキャミとスリーブレスが過ごしやすいと思う。

この亜熱帯の猛暑の日本の夏に何枚も重ね着をするなんて正気?
夏に涼しい服を着てはいけないのか?さらにキャミソールというのは日本では下着のことらしい、というのを発見してショックだった。
アイ子ちゃんが10月の残暑のころ京都の旧友を尋ねたら、キャミソール姿の彼女に何か羽織ってはいかが?と言われたそうだ。露出が多すぎると。

アイ子ちゃんもおばちゃんの二の腕も20代のように細くも光輝いてもいないが、恥じずものだとは思っていない。もっとぶっといアメリカ人だって二の腕は隠すべきものと思っていない。

3人に2人はデブというアメリカで日本の二倍はあろうかというサイズの中で暮らしてきてた。
彼らにくらべればアジア系の太ももや二の腕は少女のサイズである。ボトムだってスケールが違う。ビクトリアン・シークレットがアジア系の下着をだすまでおばちゃんは小さな下着ショーツを求めて子供用やベトナムの洋品店をさまよっていた。
黒人女性でヒップが張り出し腰の後ろにコーラ缶が一本乗りそうなサイズに並べば渡辺直美だって小づくりだ。

日本のファッションはいつから、何故、胸を隠しウエストをチュニックやお尻まで届くトップで覆い、土管のような女性の体が感じられないファッションが一般的になったのだろう。

元CAだったという50代のスタイリストさんの動画では、
プチブランドでピックアップしたトップスをこれだと二の腕が隠せます。シャツは後ろ身だけが長いのでお尻が隠れますよ。とポイントを解説している。
何故隠す?

元モデルのMarie Anneおばちゃんは60代の女性に
自分の体を受け入れよ、体を隠すなとおっしゃる。
腹が出てても隠すな。ウエストはベルトで作れ。
だぶだぶな服を着るな。Shapelessになるな、とおっしゃる。

おばちゃんは思わず膝を打って、その通り!
渡辺直美だってちゃんとウエストを作って見せてるじゃないか?デブでもメリハリがありShapelessよりも好感が持てる。

Ripped Jeansは履くな。
スエットやゆるいスポーツウエアを普段着にするな。
それらは「Gave Upした人」に見えるという。楽な洋服を選ぶなと言うわけではなく、ジーンズでも楽だしスエットよりちゃんとして見える。60代に似合うジーンズはストレートかブーツカット ハイライズをおすすめという。

おばちゃんは高身長165cmで最盛期は167cmだったが いつの間にか縮んでしまった。ありがたいことに股下は縮んでないようだ。
日本で販売されているアジアサイズのジーンズはみんな短すぎるから、メンズのリーバイス28inchを買ったのだが試着ではわからなかった不具合が出てきた。

やはりメンズとレディースはヒップ周りのカーブが微妙に違う。太もも腰回りも太すぎる。おばちゃんはお尻が小さいのだがメンズの大きなヒップポケットが歩くたびにお尻にぶつかりペコペコして不快だ。
アメリカならどのメーカーも太ももも丈もぴったりだったのに。米国サイズのジーンズは日本で手に入らないのか? グアムまでショッピングに行った方がいいのか。

懲りずにSheinでトールサイズのハイライズを3本買ったが生地もヘナヘナ満足するものがなかった。
かくなる上は、古巣の横浜に遠征して女性用トールサイズを片っ端から試着してこようと思う。

Marie Anneおばちゃんのレクチャーは今年66歳になる老後ファッション迷子のおばちゃんには方向性を示してくれる納得の動画であった。

さて、ここからは日米仏文化ファッション感の違いというか歴史伝統の違いも含めてファッション動画の面白かったものをご紹介。

今年の流行のブーツはビニール水道管のように足の甲の上で幅広く直線で立ち上がってる。
〇元CA日本人スタイリストさんは、水道管ブーツを特に否定はしていなかったが流行は気になるようであった。
〇フランス人の元モデルMarie Anneおばちゃんに言わせれば、ジバンシーはどうかしてるわよ。生クリームの絞り袋みたいなブーツを作って変ね。
下着のようなキンキラのショーツをモデルがそのまま履いたり、レギンズの“上“に履いたり。
ショーツを評してMarieAnneは
ジバンシーは頭おかしいんじゃない?
トラウザーの上にパンツを履いていいのはスーパーマンだけよ!
胸がすくようなコメントを吐いてくれて爆笑させていただいた。


アメリカ人のブロンド、ファッションアドバイザーの動画ではコメント欄がすごいことになってた。
ヨーロッパに旅行するならこんなファッションは避けましょう!
彼女は“カジュアル・ファッションのアメリカ人“がヨーロッパ旅行をするときには避けるべきアイテムを解説していたんだが、、、。

レギンズにウインド・ブレーカーは止めましょうね。シックChicには見えません。
ヨーロッパでは野球キャップはかぶりません。
ラスベガスに行くみたいな露出の多いぶっ飛んだドレスは止めましょう。エレガントなChicなドレスにしましょう。バックパックやウエストポーチより普通のバッグで。サンダルはダメ、ビーチに行くんじゃないから。

この動画を見ていて頭に浮かんでくるのは:
でっかくてその辺のTシャツを無造作に着て野球キャップをかぶりジーンズのうえに太鼓腹がせり出して水のペットと観光マップを握りしめたアメリカ人のおっさん。
くせ毛が突っ立っち、ブラの紐がトップからはみ出して首の付け根にはそばかすが目立ち腹と胸は同じ高さ。ガハガハと笑うたびに肉が揺れるカミさん。
典型的なアメリカ人像。NYは知らないがもうちょっとオサレな人が多いのかしら?

この動画につけられていたコメントがすごかった。
動画の主はアメリカ人向けにアドバイスをしてるはずなのだが、ヨーロッパ人も目ざとく視聴していてねっちりしたコメントをつけていた。

●ヨーロッパの人間として、守ってほしいのは声のボリュームよ。金切声みたいなのは止めて。
●ヨーロッパの人間だけど、北アメリカ大陸から来た人の一番顕著なポイントは「ボディ・ランゲージ」と声のでかさよ。
●ヨーロッパの人間だけど、アメリカ旅行中に旅行者に見えない方法という動画を見てみたいと思うわ。
●あたしはアメリカ生まれのアメリカ人だけどドイツに住んでる。どんな服を着ててもアメリカ人はすぐわかるのよ。ボディ・ランゲージで。でもアメリカ人でいることが悪ってわけじゃないわ。
●あたしはアメリカ人だけど2週間アムステルダムに旅行したわ。そこら中レギンズにウインドブレーカーを着た人ばっかりだったわよ。

でっかくてガサツで時にはぶしつけだったりするのだが、陽気で何かの時には頼りになる人たちなのだ。そんなに言わないであげてほしい。

Marie Anneおばちゃんも同じような動画をだしていてParisはこんなスタイルはNGよ。と
へそ出しやレギンズ姿にバッテンをつけているのだが、コメントは好意的で賛同が多かった。

日本に旅行に来るときはこんなマナーはNGよと、C語とV語とO国英語で動画を発信する人がいてもいいかな。

インドおばちゃん

お向かいの中野のおばちゃんとは、妙に馬が合っておばちゃんが中野に帰った後も、電話で長話をする。最初は、庭の垣根の向こうからお隣のおばちゃんが、こんにちはと声をかけてきた。

おばちゃんもこんにちわ、初めまして~。と言うと
中野のおばちゃんが、「どちらからいらしたの?」と聞くので、
「アメリカです」
「まあ、アメリカのどちら?」
「カリフォルニアです」
「カリフォルニアのどちら?」
「南ですLAとサンディエゴの間」
「そう?うちはニューヨークだったの。7年。姉がサンフランシスコ」

山のあいさつは、どちらからいらっしゃいました?なのだ。住人のたぶん9割は他県からの移住者である。

おしゃべりをするうちに、中野のおばちゃんは、現上皇后陛下が卒業なさった学校の出身だということ。クラスメートは、ちょうどその時代、上皇のお相手の年代の子女だったので当局からお声がかかりそうな人は卒業もやめて慌てて結婚したのよ。と言っていた。

仲のよい友達の一人は静かで控えめな人で、インドの貿易商と結婚したのだという。その親友が60年の時を経て、近くに引っ越してきた。

ご主人が現役の時代は、フィリピンやインドで暮らし、リタイアした後九州に住んでいたが、ご主人が先日亡くなって一人で広い家に住むのもむなしく、中野のおばちゃんの別荘にしばらく滞在していた。

一人娘はでっかいワンコたちと箱根の邸宅に住んでいるので、近場のこの山を気に入ってしまい、でも庭なんかいらないから、もっと暖ったかい便利な熱海に物件を買っておいて、。と中野のおばちゃんに買い物を頼んで自分は九州の家に帰った。

インドおばさん、お庭がお好きなんですか?
「この前うちにいた時は、あなたよくそんな汚い土に触れるわね?って言ってたわよ。九州やインドの館に庭があったけど、人にやらせていただけよ。虫なんか出てきてよく我慢できるわね、気持ち悪いですって」
あ~ら、まあ

それでも中野のおばちゃんは張り切って 物件を探しては写真を送るのだが、狭いとか、収納がないとか贅沢をいう。

「んまー、私も娘からわがままって言われますけど、彼女はお気に入りの家具が全部入る物件じゃないと嫌とか、看護婦のためにベッドルームがもう一つ欲しいとか、ホントに好き放題言うのよ。学生時代は控えめな人だったのに、結婚してからそりゃ変わったの。」

「静かな人だったに、んま~よくしゃべるわよ。そりゃ、インド人のご主人も人をもてなすのがうまくて、ずっとしゃべりっぱなしで愉快な人でしたけどね、。そのご主人そっくり。ホント言うとね、時々うるさい」

あ~、インド人のおしゃべりね。わかります。ほっとけば機関銃みたいにしゃべってますもんね。口を挟まなければずーっと相手の好きなように持ってかれますもん。自分の言いたいことやりたいことがあれば、対抗してしゃべらないと。
長年夫婦だったから、そりゃおしゃべりになりますわ。

「ほーんと、もうインド人になっちゃって、ご主人みたいにインドは世界で一番素晴らしい国だとか、インドのここが素晴らしいとか、彼女もインド人なんだから」


中野のおばちゃんが見つけた物件で納得したインドのおばちゃんは現金購入してクリスマス前に引っ越しが決まった。

中野のおばちゃんがエプロンをもって引っ越しに立ち会うと、あなたはどうせエプロンなんか用意してないから私が2人分持ってきたわよ。」


「エプロンって何よ、って言うのよ彼女。ひどいわよね?」
「エプロンですか?私も持ってないですけど。」
「あら、いやだ。ここにもおかしなのがいたわ。彼女はエプロンなんかつけやしなかったわよ。みんな人にやらせるんですもん。ついてきた看護婦さんにもあれを持って、ここに入れて、ここに運んで?てそりゃぁ人を使うのがうまいわよ。」
ほお?

その晩私も泊まってお風呂をいただいて上がったでしょ。そしたら彼女が、お風呂上りって昔そんなことをしていたわね。って言うの。ほら、浴室に小さいタオルを持って出るときに体をふくでしょ?

ちっちゃいタオル?えっ?何のためです?
何のためって体がビショビショだから水気をとるでしょ?彼女はバスタオルを直接体にまくのよ?
えっ?
ぇっ?はぁ?
バスタオルを直接巻いておかしいですか?浴室の中で体を拭くんですか?バスローブを着れば簡単でしょ?

「はぁ、ここにもおかしなのがいたわ。ええっとね、家族が沢山いるとバスマットもびしょびしょになるから、浴室でちっちゃいタオルでまず水気をとるのよ」


お~、なるほどわかりました。

「やれやれ、あっちこっちに日本人じゃないのがいるから。うちの娘だって小学生の時は学校でちゃんときれいなお辞儀をしつけてもらったのに、ニューヨークで7年いる間にお辞儀のマナーを忘れちゃったのよ。ホントにねぇ」

今まで人にやらせていたので自分ひとりで生活できるかどうかわからないから、近くにもう一人昔からのお友達がいて熱海は長いから、インドおばさんの面倒を見てくれるように頼むわ。時々クルーズに出かけて日本からいなくなっちゃうけど。今はコロナだから多分ずっといると思うし。

それから「白洋舎」があるかどうか探してくれないかしら?
「白洋舎」ですか?
そう、彼女は絨毯をクリーニングに出したいんですって。
白洋舎じゃないとだめですか?材質と大きさはわかります?
「あれは、ペルシャじゃないと思う。パキスタンかベルギーかしら。ウールと何かの混紡?絹のペルシャならすぐわかるから」中野おばちゃんはニューヨークの後に、エジプト駐在でペルシャ絨毯を買って帰国したのだ。

それで、夕べ中野のおばちゃんから電話がかかってきて、
ねぇ、インドおばちゃんは熱海クルーズおばさんからパン屋さんだとか、美容院だとかいろいろ教わっているみたい。ところがこの間やってくれてね。

熱海クルーズおばさんが言うには、
「一番いい針治療のクリニック施術者を紹介してください」っていきなり言われたそうよ。電話番号を教えたら自分で行ったみたい。

「一番いい針治療」って聞くのはどう思う?
それでまだ先があって、先方の針治療の先生?が言うには、インドおばちゃんは施術者がガーゼのマスクをしているの見て、不織布のマスクをしてください。って言ったらしいの。

ねぇ、どう思う?インドおばちゃん、ぶしつけで失礼じゃない?

はあ、インドおばちゃんですもんね。Self centralの人ですから、自分のリクエストははっきりしてるので、そのまま言ったまでですよね。リクエストをして相手が不織布してくれたら要求が通って満足ですから、言ったもん勝ち。

相手は客商売だから、よほどの非常識なリクエストでない限り要望はある程度聞くと思いますが。日本人の客商売の人って、気は優しいですよね。

そうお?言ったもん勝ち?
でもねぇ。“一番いいの“を紹介しろって、。不織布のマスクをしろって、上皇后陛下の母校の奥ゆかしいはずの生徒がインド人になっちゃって。

インド、パキスタン、中近東――あの辺の人は、人間のカテゴリが少ないですよ?
なに、人間のカテゴリって?

つまり、一番大事なのが自分の“血“がつながった家族、それから親族、友達、商売相手、仲間なんかが、対等に付き合う人間。それ以外は使用人か敵。相手のサービスに金を払うなら、使用人カテゴリでしょうね。

もし、インドおばさんを紹介してハリ治療の先生とか親しい美容師の気を悪くしたくなかったら、あらかじめ根回しをしといたほうがいいかもしれませんね。インドおばさんは悪気はないんだって、。習慣と文化が違っちゃっただけって。

おばちゃんも、役場だとか銀行だとか質問をしているだけなのに、クレームとか受けているみたいに、相手の顔が引きつっていたり、引いていたりするのにたま~に気が付くので、人のことを批判する資格はないかもしれない。

疑惑のガソリン

ジョイスがあそこのガス・ステーションは何かおかしいという。ジョイスはそのころ早朝のエクササイズのクラスをとっていて朝5時半にメインストリートを通るのだという。すると茶色一色で車体にロゴが入っていないボロッボロのタンクローリーがガソリンのサプライをしている場面に出くわすのだという。

帰国してぶつかる逆カルチャーショック

逆カルチャーショックの定義とは

ホスト国の文化や生活習慣に慣れた後に自分の国へ戻ると、その現実に溶け込むことが大変だと感じる。ホスト国にいる間に、留学生の多くは、自分の文化的アイデンティティーを再度模索したりする。

★逆カルチャーショックとは、海外生活を終えて自分の慣れ親しんだ環境(文化圏や国)に戻ってきた者が経験する、自分の文化への再適応に伴い感じてしまう驚きや戸惑いのこと
逆カルチャーショックの起きる原因は、自分の帰る場所が『HOME』ではないから

――――な~んだって。
留学生や駐在員が経験する逆カルチャーショックなのだそうだ。

おばちゃんとおじちゃんは社会人として、日本で暮らしたよりアメリカでの社会人経験のほうが長かった。生まれた故郷を捨て海を渡りアメリカのどこで死んでも結構、散骨してOK。

ただ、余生を暮らすにしてはカリフォルニアは高すぎ、オレゴンやシアトルの気候は素晴らしいとも思えないし、アーカーンソーで凍えて暮らすのはまっぴら、そうだ!老後を暮らすなら「日本」という州もあったな?!というケースである。

慣れ親しんだ環境?Home?
おじちゃんの同僚のテリーさんは不法滞在の挙句、ベトナム戦争中に市民権プログラムに参加してアメリカ市民になった人だった。日本人の文化とか常識とか習慣はとっくに捨てちゃって、日本人とかの定義もどうでもよくなっている人

自分が日本人であるということがどうでもよくなっている場合、どこで暮らそうが日本人かどうかとか文化とかは関係なくて、どこが暮らしやすいかどこで暮らしたいか?という問題ではないだろうか?

おばちゃんたちは、テリーさんほどアメリカ人ではないが、リタイアのために「日本州」に引っ越してきた。血縁地縁もまったくない電車で降りたこともない地方カウンティ。

自分たち半外国人に住みやすそうなポイントを考えて州を選んだ。違う州なんで習慣や考え方が違っているだろうとは予想できるので、なるべく地元の人の迷惑にならないようにカウンティ地元でもよそ者が住む場所に家を買った。

最初に移住したときに違う国の常識にぶつかってびっくりした経験則と対処法はしっかり蓄積されている。日本州の考え方が違うのは当たり前だと思っている。帰国者が「ホーム」に帰ってきたと思うから、違和感のあまり適応障害で鬱になったりするのだろう。

CA州では簡単だったのにね。とか日本州ではここが不便ねとか、そんなことは山ほどある。しかし、違う州なので州の常識があるのだ。
日本州のいいところは取り入れる。
コタツというのは秀逸な暖房器具・家具だわ。おばちゃんと猫は惚れ込んで二度と手放せない。食べ物もおいしいわ。食に関してアメリカは後進国よ。

アメリカでは日本語放送のCMで「あなたの中の日本が不足していませんか」とか言われると、ああ、日本の温泉というものにもう一度は入って見たいなぁ、とずっとあこがれていて、帰国して何十年ぶりに町営の温泉大浴場に入ったときは冷汗が流れるほど困惑した。

何をどうして、どこから始めてよいか全くわからなかった。そこはそこ、アメリカで修羅場にあったことはいくらでもあるので、まず人の観察をする。
なるほど、まずロッカーを確保するのか、次は脱いでロッカーに入れる。裸で大浴場に入ると、。
そこは、学生時代に行ったことのある、銭湯だった!

ピンク色のトドやオットセイが湯舟の波打ち際に乗り上げて、憩っている。温泉は1度で充分であった。温泉を娯楽と思う感性はおばちゃんにとっくに失われてしまっていたのだ。

地方の自治体の手続きというのもなかなかスリリングだった。こちらが専門用語・日本語がわからないので、窓口も困惑しているのだが、何せ手続き文書の日本語が日本語なのに意味不明という説明不能な状態なので聞くしかない。

申請書に申請理由を書いてください。と言われても日本語はもう手で書けないし、コンピューターのキーボードがなければ無理よ。それでも紙に書けと?わずか2行の理由を何分かかけてちびちびとひらがなが多い申請用紙が完成した。

いろいろ疑問に思うことがあるが日本州地方カウンティに怒ったりしない。

地方自治体のシステムにチャレンジすること自体が賢いとは思えない。相手が何を要求しているのか、相手のルールに従って、要件を満たすことが生きていくことの一番の早道。

よその国のシステムが不満なら自分の国に帰る。世界で共通するポリシーだね。

脱線するけど、移住したのに子供に兵役につかせるのは嫌!って理屈は通らないよね。ブラジルにすればよかった。

おばちゃんが知り合ったブラジル人留学生は、若いのに兵役はいかなくていいの?って聞いたら徴兵リストから外れたからいいんだって。ラテン系のお国がらで、毎年徴兵を募るとき、姓名のAからとっていくので、アルファベットの後ろの姓は定員が埋まって、永遠に徴兵が来ないんだと!いい国だろう!って笑ってた。

本題に戻る。

外国人が他所の国に好きで来て、生活が苦しいから生活を保護してくださいって、世界中で受け入れにくいでしょう?迷惑じゃない。自分の国でまず保護しないといけない弱者がいるときに、外国人まで面倒みられません、とりあえず自国に帰ってみては?と言うのは当たり前だと思う。

日本州の地方カウンティ人というのは、話すときにまず相手が男性か女性かが重要な要素らしいというのは驚いた。だいたい、車関係とか建築関係に多い。

やたらぺこぺこ頭を下げるのはおばちゃんたちには少し無理かも。
頭を下げるときは後頭部にかけて防御が困難になるから、人様にはなるべく晒したくない。

おばちゃんの長い経験をいかせるなら、地方カウンティのお役に立ちたいと思いボランティア活動に応募したことがあった。

CAでは警察にボランティア登録制度があって、英語がよくわからない同国人のために通訳サポートをするシステムがあった。登録をしておくと、警察から拘束されている同国人の通訳などをするボランティアがあったのだ。

おばちゃんは、この地方カウンティの国際交流ボランティア例会に出席してみたら、そこではどこかの短大の講師が「外国人と一緒に暮らすとはどういうことか」とかの講義があって、グループに分かれてディスカッションをしましょうと。

例会の最後には町で暮らしているベトナム人の女の子に「日本人にいかにお世話になったか、私の幸せな日本体験」の作文を読ませた。
むろん、出席者全員であったかい拍手をするのである。

おばちゃんは、英語でサポートが必要な外国人のためにお役に立てるようボランティアにお応募するつもりだったのに、外国人が少なくサポートの需要もまだないのだった。



元号が覚えられない カタカナが怖い

LAの総領事館のオフィスがまだ下方の階で、広くって超高学歴・完璧バイリン”風”の窓口の大使館員おばさんがいたころ、もっと偉そうでつっけんどんだったころ。
窓口には、戦争後に来たんじゃないかという、日本人のお婆様が申請フォームを手に、もう日本語なんか書けないし、言葉も色々忘れちゃってるから、バイリン風窓口のおばさん大使館員が、くどいくらいあれこれ日米両言語で問いただしてた。

窓口の上方の壁には横1メートル・縦50センチくらいのでっかいサインボードがあって、老眼鏡も絶対必要ないだろうという大きさで
「今年は平成 X 年です」と書いてあった。
まぁ私も見たときは ああ、もう X年なんだと思うのだが、次に領事館に来るときは当然ながら年が変わっているわけで、ああ、X年なんだ。とまた思うわけ。

日常生活で日本の年号を目にすることもないし、ネットはまだ黎明期で、Yahoo!か朝日新聞がようやく稼働を始めたかという時期だったから。日本は今、年号で何年になるのかさっぱり覚えられなかった。

渡米した日本人に共通していることだけど、渡米すると自分の中の日本の時が止まる。記憶の中の日本は昭和 X年、あるいは平成 X年なんだね。その代わり、渡米してからの経過年数は絶対忘れない。
自分の年を忘れても、アメリカに来てからの年は忘れない。死んだ子の年を数えるみたいに。

私も当時の窓口の婆様になりかかったころに日本に帰国してきたから、当然平成年号が記憶できていない。おばちゃん、平成が何年で終わったかも覚えてないから西暦でしか生活できない。
でも、年齢を引き算するには西暦の方が絶対便利よ?


実をいうと、日本語が書けない。
コンピューターのキーボードがないと書けない。手書きで書けるのは自分の名前と住所。これは帰国してから練習した。だって、アメリカでは日本語を書く必要がなかったから。

領事館で証明書類を申請するときくらいで、電話債権を売るのに在留証明を取らないといけなかった。その在留証明にはなぜ在留証明をとりますか、理由を書け、とかあった。

なぜ理由を聞く?。
と思いながら債権?そんな漢字が書けるわけもなく、こんなところで日本語を書かせるのがまず間違ってると、ぷんぷん怒りながらひらがなで理由を書いた。

仕事中に書くメモも日本語だったわけではない。頭が半部英語モードで動いていると日本語に切り替えるのがすごくつらい。
あの、ひらがなというやつが曲者だった。一番困るのは「な」「ね」「の」「ぬ」
止めのところがどちらかにくるっと曲がるのがどっちだったか?右か?左か?自信がない。「な」ってこっちに曲がるんだっけ?と従業員に聞いても、ん~ん、そのように見えますが、彼女だって自信がないのだ。

アルファベットだと文字数はたった26文字で全部書けるのにね。それにというものは何十年もやっていないと、書き方も忘れてしまうのだ。

ひらがなも困るが、カタカナは嫌いだ。
渡米する際には日本から文豪ワープロとインクリボンを持って行った。当時のアメリカでは日本語を書けるコンピューターがなかった。Windows 3.1では日本語が書けず、印刷するプリンターもなかった。Windows95が発売されてやっと日本語が書けるようになった。

キーボードがあれば日本語メールを書くのに不自由はなかったので、買い物メモもToDo Listも日本語である必要がなかった。
ジャガイモはPotatoって書けばカタカナより早いし。周りの日本人はみんなそうだったからね。中国人のサマンサだってジョイスだって、漢字は書けないって言っていた。日本語のニュースはネットや書物で読んでいたから、読む能力は衰えていなかったが。

何年かに一度、親戚友人などがやってくるとディズニーランドへ案内した。親戚・知人は日本語の園内地図を選びおばちゃんは英語を選んだ。カタカナが読めないから。

おばちゃんは、カタカナしか書いてないMapを見るとパニックになってしまう。「ウエスタンランド」というカタカナの音がWestern Landだということを変換するのに時間がかかるから。すごくつらい。

日本語のつづり(カタカナ)は英語の音をあらわしていない。
ラリルレロの綴りは 「L」か「R」かバビブベボは 「B」か「V」か「th」はどうするか?だから頭がフリーズして日本語への変換を拒否していたのだ。

日本で一番の恐怖の場所はDVDや音楽CD売り場。
頭痛と吐き気が止まらない。パッケージのラベルがカタカナ表記で、さらに日本語語順 ア イ ウ エ オでカテゴライズされてたから。Tayler Swiftが「」行にあるんだよ?

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