CTスキャンをとって会計を済ませたら午後2時を回っていた。
病院の駐車場はアスファルトの輻射熱で温室の中を歩いているようだった。

おじちゃんとおばちゃんの前には160センチそこそこの老夫婦が駐車場の同じ方向に向かってゆっくりと歩いていた。足の長いおばちゃんは二人を追い越し、その時に小柄で総銀髪のおじいちゃまが妻に言っている言葉が聞こえた。

「お前はゆっくり歩いてくればいいよ。僕は先に行って車を冷やしておいてあげるから。」

まぁ、なんと麗しい夫婦愛!アンタ聞いた?
おばちゃんは声が聞かれない距離まで来ると、おじちゃんにささやいた。
おじちゃんは、ふんっ!と言った。

わたしの背中が痛いという訴えを主治医は割と真面目にとって、CTスキャンをオーダーした。CTの画像診断は放射線科の医師に読んでもらったそうだ。CT画像には胆管も腎臓にも何も異常なし。
診察室を出ておじちゃんに異常なしだったというと、殴られた子犬のような怯えが目から霧消した。帰りはスーパーに寄っていこうとおじちゃんはしゃいでいた。

おじちゃんは例えば、私の足が不自由になったとしても、多分「先に行って車を準備してあげてるから」とは言わないだろう。先読みをしてテキパキと計画を立てるタイプではないから。暑くても寒くてもとにかく自分より背の高い妻を抱えてゆっくり二人で車に歩くだろう。車についたら、じゃあ運転してね。というかもしれない。

私とおじちゃんが出会ったのは、大学の2年。私が19歳の時だった。まぁ、ずいぶん長い付き合いだ。大学を卒業して半年後に、おじちゃんと結婚すると言ったら親は泣いた。

結婚させるためにお前を大学までやったんではないのに、。
おじちゃんとは身長も育った環境も随分違い、親どころか同級生さえも驚いた。親が何を忖度していたか、友達が何に引いていたのか、そんなことはどうでもよかった。人間の価値は背の高さや学歴や職業で決まるものではない。“職業に貴賎なし”日頃の父の口癖であった。娘はそれを実行しただけだか。
スカーレットのように、私は決めた。私は結婚するのだ。“Merry she would!”

おじちゃんも若かったので、まさか世間知らずの大学生がタケノコの皮を剥ぐようにアマゾン族の戦士まで化けるとは思ってもみなかったに違いない。おばちゃんは自分でも化けた自覚は大いにある。

プライドと夢は高いものの、実現するための地道な努力は大嫌い。
ものぐさで本や酒に逃げ込んで自分の置かれた現実から目を背けるのは得意。実務の才能はゼロ。人付き合い経験値は地を這う。頭を下げるのが嫌いなかたくなで独りよがりな性格。集団になじまない異分子の小娘。それが10代20代のおばちゃんだった。

タケノコは竹に成長するが、私はどう成長するか自覚もないまま脱皮と変体を繰り返してきて60代のバアになった。30代で日本に居たままだったら間違いなくアル中になり結婚も人生も無駄にしていただろう。

おじちゃんと結婚したあと、変わらない自分と日本の社会の閉塞感に窒息しかけていたから、おじちゃんの尻を叩いて日本を脱出した。

この間、山の卓球サークルのバーベキューがあり、そこでなんでまたアメリカに行ったの?と聞かれたので、
日本では窒息しそうだったので、ダンナの尻を叩いてアメリカに連れてった。と答えたら、
間髪入れず、「それはご主人がかわいそう」と声が飛んだ。
そうなのか?!
おじちゃんはかわいそうな子だったのか?

アンタは私と結婚しなかったらアメリカに行くことはなかったね。と言うと素直に「うん」と言い、アメリカ生活も日本では絶対できなかったことを経験してきたから満足に思っているようだった。

アメリカの社会は自由に呼吸できた。その代わり未来は全く見えなかった。
未来は自分で切り開いて作るしかなかった。政治経済には全く興味がなかったのに、生きていくためにはファイナンスやビジネス・マネージメントを学ぶしかなかった。アメリカの社会でみじめに野垂れ死にたくないと思えば、自分を変えて戦うしかない。

かっと目を見開いてチャンスが漂ってくれば掴む。
ワラでも小枝でもつかんで自分の巣を作ってゆくのだ。理想の巣を作るためには戦うのは必須だった。

平成が終わるころ日本に帰国して人生の第四コーナーが始まった。
日本に帰ろうか?と言ったらおじちゃんは「うん」と言ったからだ。

年金を請求するまで山でバイトをした。コロナが拡大していくさなかで、おじちゃんのバイトの事業所は素早く廃業解散を決めた。オーナーが中国人だったのでやはり決断が速いと感心したものだった。中国人とアメリカ人は同じくらいビジネスの見極めが早い。

おばちゃんは下手に動いてもいいことは何もなさそうだと判断して、日夜ネットで政府の支援策やコロナの給付政策をチェックしていた。
おばちゃんたちが使えそうな支援策は申請した。
山で親しくしていた人も仕事がなくなり萎れてきて愚痴をこぼすことが多くなったから政府の支援策を教えて応援した。

現役時代は大企業の総合職で優秀な人だったらしい。細腕一本で山に自分の家を建て、都会の駅近マンションは貸し出しているはず。自分と同じ匂いがする。戦ってきた来た人だと直感して親近感を覚えた人だったのさ。様々なメディアで政府のコロナ支援策が発表されているのに、それも日本語で、なぜ情報が取れないのだろうと不思議だった。

その彼女とこの間お茶をしたら、おばちゃんを評して「肉食系」と、、。思わず口が滑ったようだ。


言いたいことはわかる。
おばちゃんは誰かを狙って食いついたわけではない。上昇するために誰かを蹴倒したこともない。

自分の家族と猫を守る時には(誰かを傷つけるのではなくて)条件があれば、条件を合わせて、利用できる制度があれば利用する。それだけだ。
傍から見ればぬるい湯につかって愚痴をこぼしあう中で、欲しいものをぐいぐい切り取っていくおばちゃんの行動力が肉食系と映るのかもしれない。

自分を憐れんで愚痴を言って泣いている暇があったら、自分たちを生かせる方法を探す。それが平成の間アメリカ社会で学んだことだと思う。

山のサークルの爺様あたりからは、ひそかに鬼嫁と呼ばれているかもしれない
うっせいわ。

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mikie@izu

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

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