ジョイスは150センチ足らずの小柄で、でもプライドは高く胸をはったチャボの雌のように気が強かった。
ショッピングモールの駐車場で彼女のジャガーのボディを擦って出ていこうとした隣の車の進路に立ちふさがり両手を広げて通せんぼして、運転者を逃がさぬものかと延々1時間やりあった。

4歳年下のデイビッドが何回求婚してきて、どんな風なプロポーズをされたか聞かされた。裏表がなくいつもストレートで、表面だけを取り繕うタイプではなかった。
3年から最長7年で帰国していく日本人駐妻との付き合いは、「おほほ、っ」のお付き合いになることが多かったし、移住したばかりのおばちゃんにとってアメリカでの戦いの仕方を教えてくれるジョイスは力強い友達だった。

ジョイスは客家系の台湾経由の中国人、私は日本人でお互いの交際範囲にかぶるものも全くなかった。本音で話し合えてお互いのコミュニティの接点がなく、気楽でよかったのかもしれない。ウマがあったのだと思う。

ジョイスが台湾で結婚した最初の夫は2分の1日本人だった。
それが縁だったのか彼女は日本人には惹かれるものがあったようだ。長女が最初の夫の娘。
その後、上海系のデイビッドと再婚してから2女3女4女に恵まれた。4人の娘を育ててジョイスは思うところがあったらしい。

長女は他の姉妹と段違いに頭がよかった。
2女から4女はいい子たちだったが長女は頭の切れが違ったのだという。それは日本人の血が入っていたからではないかと一度口を滑らせたことがあった。

長女は授業料が超お高く、卒業するのが超難しいデザイン・スクールを卒業した。このデザインスクールは才能がなければ入ることさえ難しいが、無理をして入っても課題ごとに教師陣に評価され、あなたは才能がないのでお金の無駄だから辞めたほうがいいと生徒に言い渡すので有名だった。

そのデザイン・スクールを長女は卒業し、自分のポートフォーリオをもってニューヨークに渡った。するすると才能を認められて有名ブランドのデザイナーになってしまった。

私は何度聞かされてもブランド名を覚えられなかったのだが、あるときデパートで見たことがないほどきれいな黄緑のキャミとカーディガンのセットに見惚れて、それはセールにも関わらず飛んでもなく高かった。

何時間か逡巡して結局買ったが今でも覚えているくらい勇気が必要な値段だった。
ずいぶん経ってから裏地のロゴを見て、これはもしやジョイスが言っていた長女のデザイナーブランドではないかと思い当たった。ずいぶん抜けた話だが。

超優秀だったデザイナーの長女はキャリアを驀進し、ブランドのデザイナーを束ねるマネージャーまでになった。NYの金融関係の男性と結婚しプライベートビーチ付きの家を買って、デイビッドとジョイスと妹たちを招待して夫の趣味であるヨットでセーリングしたのだという。

私も優秀な日本人だというので頭や知能に敬意を払ってもらっていた気がする。
中国系は総じてみんな商人!なところがあってジョイスも化粧品の輸出などしていたようだが、彼女はコミュニティ・カレッジで商売上の必要から簿記・会計のクラスをとった、何度も。
で、何度もドロップした。

ねぇミキ Debit とCreditってどう説明する?Debitは負債なんだから減るに決まっているでしょう?アカウントによって減ったり増えたりってどういうこと?

この私に英語でDebitと Creditの説明をしろってか?
で、アカウントの教師のカールが言った通り、Debit はCreditラテン語で左と右という意味で、負債だとか資産だとかは関係ない。上がったり下がったりするのはアカウントが違うからで支払ったり儲けとは関係ないんだよ。

ジョイスは私の説明など全く聞いておらず、右だとか左だとかフンDebitは負債に決まってるじゃない、だからDebitっていうのよ。英語なら私のほうが得意よ。

自分が理解できないのは私の説明が悪いとばかり。自分がどうしても終えられなかったクラスを私がサマークラスで取ったものだから、やっぱり日本人はちょっと違うと思ったみたいだ。

二人で何千時間話しただろう。
小学生だった末っ子がハイスクールに行き3女はライセンスを取って、ジョイスのBMWをもらった。卒業した後はショウ・ビジネス方を勉強したいからとお姉ちゃんたちの後を追ってニューヨークへ行ってしまい、残ったのは末っ子だけ。延々と「カラの巣」の愚痴を聞くようになり、そのあとは更年期の愚痴、さらにはデイビッドが新人エージェントと仲が良すぎると愚痴。

数年後、自慢の長女が事故で亡くなったときジョイスは狂った。
長女の夫に根掘り葉掘り事故の状況を説明させ、事故ではなくて意図的にお前がやったのではないかとまで責めた。

その後、私は夫婦で始めたビジネスが忙しくて会うことはおろか電話でおしゃべりする時間も無くなってしまった。

ジョイスは書くのが大嫌い。
バーバラ・ボクサーだかが役員だった保険会社に一時期務めていたのだが、ミーティングのあとリポートを提出せねばならず、これがジョイスには大問題だった。リポートを書くのが難しいからと結局仕事を辞めてしまった。おしゃべりは立て板に水なのに、書くこととなるとDear sirsで止まってしまって、keep in touch, see you againで終わってしまうのだった。クリスマスカードは年末に届く。

デイビッドによればジョイスは胆石を発症した。
揚げ物、肉が食べられなくなって胆石の診断がついた。だが、手術の決意がつかず延々10年も持っていたのだ。

コレステロールの高いものさえ食べなければ胆石発作は起こらない。
彼女は体にメスを入れるのが我慢できなかったに違いない。一度キッチンでジョイスがかがんでいるときに、デイビッドがお湯の入ったヤカンを取り上げ誤って、お湯をジョイスの背中にこぼしてしまったことがあった。

少量とはいえ熱湯でやけどをした。やけど跡でドレスが着られなくなっちゃうじゃない、どうしてくれるのとジョイスはデイビッドにくってかかった。
体に穴をあけたくなくて、食事療法でジョイスはやり過ごそうとしたのだろう、10年も。

体の不調を無視できなくなりついに手術を決心したとき、彼女の胆嚢はガン化し肝臓やリンパ節にも転移浸潤してしまっていた。

もし私がビジネスを始めずジョイスとおしゃべりをする生活でいられたら、二人でなかよく胆石を切ったか?いやいや、ジョイスは私の説得など耳を貸さなかったと思う。いやなものは嫌。

10年手術を避けてきた結果ガンの宣告。ジョイスが感じたであろうと黒い怒りと絶望がよくわかる。きっと怒ったと思う。テーブルをたたいて、なんで私がと、、。

私が胆石からの胆嚢ガンステージ2で拡大手術を受けたのが去年の4月。
ジョイスは8月に切って胆嚢ガンのステージ4。それからジョイスは3種類の抗がん剤を始めた。胆嚢ガンの完治が期待できるのは、ステージ0か1で外科的手術の場合だ。
ジョイスは抗がん剤はもう嫌と宣言して自宅で最後を迎えた。

立って動ける間に会っていればよかった。何度もメールを書いたのに、クリスマスカードの返事しかくれなかった。
プライドが高かったジョイスが、抗がん剤で髪が抜けやせ衰えた姿を家族以外に見せたいと思うわけがなかった。人生の先輩ジョイスは私に先立って行ってしまい、私も同じ道をたどるのかもしれないが、いずれまた会う。

娘のジョーダンからジョイスのメモリアル・ランチの招待がとどいた。が残念ながら行けないと返事をするしかなかった。
十日前に、テン・ジュニアがFIPと診断されたからだった。

mikie@izu

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

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