百年に一人の悪妻

おばちゃんは昔から愛想が悪く、頭が高い人と言われ、ついでに言えば、ダンナの会社の専務から100年にひとりの悪妻と言われた。
客商売には絶対向いてい無し、やってはアカン人でその自覚も十分あったのだけど、ダンナの夢を実現するのに私以外に実行者はいない。

愛想がない人が愛想を装わねばならない。
本当に愛想がある人になる努力ではなくて、(そんな努力をしたら死んでしまうと思った)とりあえず愛想があるように見えるようにするにはどうしたらいいか考た。
まずは、形からである。

ベーカリーの2軒隣はヘア・サロンでイラニアンのサラがオーナーだった。
新しい店舗がオープンすると、隣に挨拶に行くのはアメリカでも変わりはい。私が挨拶するとサラは、何人なの?何を売るの? 料金表を見せて?と「ニッ」と笑った。

イラニアンの切れ長できつい目が瞬きもせず、口の端だけキュと釣り上げた、それはそれは恐ろしい笑顔だった。般若に一番似ていた。牙がないだけ。

この人サラというは、人間が好きでも客が好きでも客商売が好きでもないけど、とりあえずあんたを襲ったりしないし、今は友好の印は見せておく。というのがよ~くわかる笑顔だった。

私にもまねできそうな笑顔のお手本は見つかったので、営業時間は口の端を持ち上げることにした。

おばちゃんの眉間はMicrosoftのおかげで縦皺が深い。
Windows95の時代からMicrosoftには苦労させられたからだ。

5年間のコンピューター修業時代は、おばちゃんの眉間に深~い溝を残した。この溝を何とかこれ以上深く怖く見せぬよう努力せねばならない。溝は後日、化学の力である程度何とかした。

ビジネスがスタートするまでビジネスモデルのシュミレーションで1年かけた。
ライセンスの役所の黒人のおばさんと窓口で言い合いになって、上役が仲裁にはいり別室に連れていかれた。

我に返ったので、「はっと我に返り悔いて謝罪をする」という映画のような芝居を打った。英語だから、何とでもいうぞ。ライセンスがパーになるかと思った。

注文した設備のオーダーがすっ飛んだときは、マネージャーに怒鳴ったら仕事が進んだ。なかなかいい方法だったが、ヘラヘラするベトナム人には通用しなかった。Ok, Okと軽請け合いするくせに、すぐ忘れるので納入のために毎週電話をかけるのだった。

オープンまでの課題を一つ一つクリアし、ビジネスをスタートさせたのであった。苦労?違う。おばちゃんは生きるために戦っただけ。

私が悪妻か良妻か、人からの評価には興味がなかった。
そんなことより、私が何をやらねばならぬのか、何がゴールなのか それを実現することが私の人生だった。


テンのFIP闘病記 その後 オムツ

テンのタマタマの寿命はあと10日ほど。術前の血液検査の結果も異常がなかった。生後2か月からテンを診てくれているクリニックの先生は、麻酔も術法もテンへの侵襲を極力抑えて去勢手術を行ってくれるという。 おじちゃんは毎晩寝不足である。おじちゃんは目ざといので、夜中にテンがガサガサ不穏な動きをすると目が覚めてしまい、案の定テンはおばちゃんの靴下とか、おじちゃんのスリッパとかにスプレーをしている。おじちゃん… Continue reading

世界は巨大な ケンミン・ショウー

アメリカでも日本のTV番組は見られる。カリフォルニアではKTVという現地放送がNHKや日本の人気番組を放送していた。きわめて限られた番組数だったが。 その番組の一つが「ケンミンショー」で愛知県の名古屋人は鶏の手羽を食べるとき、ある裏技を使って一挙動に食べられるとか、別の県民の赤飯は甘納豆で炊いて甘いとか。サラダを寒天で固めて食べる地方とか。地方での伝統習慣が実は日本・全国区でみると異習慣・本流では… Continue reading

65歳のピアス その後

病院で施術してもらったピアスはどうなったかと言うと、そろそろ5週間が経つという時、おじちゃんがお前再来週はCTスキャンの予定じゃなかったっけ?ピアスはどうすんだ、と言った。 そうだCTだった。ピアスを取らなきゃ。おばちゃんは耳たぶのネジのようなピアスの頭を引っ張ったが痛いだけでミリも動かなかった。変。おじちゃんを呼んでネジの頭を抜いてもらおうとしたがやはり、痛くて騒いだのでおじちゃんは怯んで手を引… Continue reading

アメリカの8131億円の集団訴訟に参加した私はいくらもらえる?

おばちゃんには悪い癖がある。メールの返信を見ずに放置すること。 おばちゃんは割と筆まめであっちこっちにメールを書く。返事が来てもすぐに見ない。例えばアメリカで物品を購入したらユーザー登録をして、不具合があれば返品するし、返品までの不具合ではないが不満はGrievanceあてに文書で送付して必ず証拠を残しておく。後々のリファンドとかの時には証拠になるから。 ところが、メールを出した時点である程度の不… Continue reading

老化とファッション2

アメリカに長く住んでいると日本は遠い国だった。日本でどんなファッションが流行っているのか疎くなる。留学生が飛行機で降り立ったままの服装で日系スーパーに現れると、ああ、今日本ではこんなファッションが流行っているのかと観察したのだった。 平成の終わりに日本に永住帰国したら、日本の女性はみな蒸し暑い真夏に中東のようにワンピースを着、ボトムにはパンツを履いていた。胸もウエストもなく二の腕も洋服に隠れていた… Continue reading

老化とファッション 1

それは62歳で始まった。 お出かけのスカートを履いて鏡を見たら、膝っ小僧に皺が寄っていた。60・61歳ではまだまだイケると思っていた。膝に影もなかったから! 64歳の時は頬がたれ始めた。肌を引っ張り上げていた筋と張りが無くなったのであった。統計を読むと62歳から老化・衰えが顕著になるようである。ふ~ん。統計とドンピシャだったので感服する。  さて去年65歳になってどうだったかと言うと、40代の洋服… Continue reading

FIP寛解後

今年の冬は羽毛布団は無しね。おじちゃんは消臭スプレーと雑巾で黙々とベッドルームを掃除していた。 テンのスプレーはますます快調。いつどこでマーキングされるかわからないので、とてもじゃないが羽毛布団は使えない。一昨日も寝具一式をコインランドリーに担いでいったばかりだ。敷く毛布1,掛ける毛布が3枚、キルトのベッドスプレッド。ウチの東芝ザブーンでやると仮定すると、朝洗濯を始め乾燥ができるのは夜の11時頃に… Continue reading

国境なき医師団からお便りが来た

国境なき医師団からお便りが来た。遺贈の件どうなってますか~~?というお尋ねだ。これで何回目だろう? 日本に帰国してカリフォルニアで作っていた遺言書が日本の形式に合わず無効になったので、夫婦で新たに自筆遺言書を書き、万が一の時は国境なき医師団に遺贈することにして遺贈に関するパンフレットを取り寄せた。 パンフレットによれば不動産は受け取ってくれない。医師団は山の古い家などイラヌと言う。都内の不動産なら… Continue reading

日本永住帰国前夜・・・ビジネスを畳むには

南カリフォルニアで成功したビジネスオーナーの先人がかつて言った。 “アメリカで個人事業をしていて年老いたらビジネスを畳み日本へ帰国すると言っていた人で本当に実行した人はほとんどいない”。世話になったおばちゃんたちが帰国のあいさつに伺った時の話である。 アメリカで起業をすることはできる、資金と計画と根性があれば。起業はできるがビジネスを畳んで撤収することの方が難しい。何故か?… Continue reading

2024年 経済肌感覚

おばちゃんは米国でリーマンショックを生き延びた小売業者であった。11月の雇用統計やCPIつづくFRBの発表を受けても胸騒ぎが収まらない。ドルが急落したことだけではない。これは予想されていたことから。 小売業をやっていると「経済の肌感覚」が身につく。客の懐具合は売り上げに直結するからだ。おばちゃんが一番危機感を覚える数字はアメリカ人のクレジット残高である。クレジット残高が過去最高で$1.03 tri… Continue reading

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